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神経症を病んで不登校になった子供たちの頑張りと克服

出口が出る前の状況

出口が見えない状況のまま、子供たち二人は暗闇の中をもがき苦しんでいたと思います。私たちも同様でした。
自分たちのことじゃない分、よけいよけい無力感に襲われました。もうこうなった以上、どうしようもないのかしら、と考えると絶望的になりました。

でも、子供たちがいつまでも苦しみ続けるのを見たくはなかった。できれば変わってあげたかった。
一方で、二人の子供たちに共通すること−私たちのしつけの方針−がずっと私たちに引っかかっていました。二人の兄妹が二人とも心に大きな重荷を背負っているという事実は、私たちの子育ての間違いを突きつけるものだった。

でも、心にトラブルを抱えてしまった以上、どうにかして問題を解決してやりたい!と強く思った。子供たちが社会から取り残されていく現実、でも私たち夫婦の力ではあまりに問題は山積していて、解決しようがないように思える。

実際に、私も夫もあらゆる方面をさがして、解決策を模索した。そして取り入れてみたが、そんな生やさしいものでは解決できないとわかってきた。
長男・長女がこれ以上はまり続けてしまうと、完全に人生が破綻してしまう。
いまは神経症という状況だったが、さらに進めば、精神病のたぐいにはまりこんでしまうおそれも指摘されていた。

それぐらい長男は追い込まれていた。
一方、長女も自傷行為で、いつ命を絶ってしまうか、恐ろしかった。
長男だって、死にたい気持ちは誰よりも強かっただろう。

私たちも次第にノイローゼになってきた。私(リエ)は夫に次第にいら立ち、あたるようになってきた。夫は会社を早く帰るようになったが、問題は一向に進展しなかった。私もふさぎこむ日々が多くなり、また行けないとわかっていながら、子供たちにいらだってしまう日々が続いた。このときが一番の地獄だった。

問題が解決するきっかけとなった出来事

でも、一つ突破口があった。ひきこもりの子供を持つ親の集まりに私は出席していたときのこと、懇意にさせていただいた人がいた。久々にそのとき以来連絡を取り合った。
子供の問題が解決しているという。その人の状況の昔の状況はというと・・・お子さんは極度のうつ状態に陥り、それまではうまくいっていた会社勤めも一気にうまくいかなくなった。
一流の銀行員だったという。
24歳の時に一気にうつ病に陥ったらしい。いままでのエリートコースが崩れ去った、

その親御さんは、その子供のために入院や宗教にすら助けを求めても何にも解決に至らなかったらしい。私たちと同じく出口が見えない状況で、同じサークルに出席したらしい。
自分の心を安定させるために出席したとのこと。話がとても合い、サークルに出席していたときは、よく連絡をとりあった。お互い不安や愚痴を言いあい、建設的な関係ではなく、お互い疲れ果て、次第に連絡を取り合うことがなくなった。

それから数年たった日、私に連絡があった。もう息子さんがすっかり元気になって、社会復帰して、昔以上にばりばり働いているという。私はそのとき、うれしい気持ちがしたけれど、うちは違うという絶望に急に襲われた。うちはどうにもならないんだ……。そのときは、むなしい気持ちで祝福した。

あの方の息子さんはなんでうまくいったのだろう? 理由はうっかりそのときは聞くことを忘れてしまった。きっと、その息子さんはエリートコースを昔歩んでいた分、復活できたんだろうな、と思ったからかもしれない。僻みみたいな感情でそう思ってしまった。夫にそのことを話した。夫は、どうして良くなったのか知りたがっていた。そういえば、と私もそこではじめて思った。

岩波先生のやっている神経症の克服プログラムが元気になった理由だと教えてもらった。神経症やPTSDを克服させるかなりの腕のセラピストだと言われた。といっても、とても狭き門で、予約はおろか、先生と相談をすることすら困難だ、と言われた。そこまで圧倒的な支持を受けているセラピストにとても興味をひかれた。私は夫と相談し、教えてくれた方とも連絡を取り合った。また子供たちともこういうセラピーがあると話した。

ちなみにその方は、精神科のお医者さんから、私たちの先生を紹介を受けたらしい。
そのお医者さんは、自分の力(もしくは薬)でどうしようもなくなっていた息子さん(つまりさじを投げた)を、先生に預けた格好になった。
そのお医者さんは、全然毛色が違うけれど、先生を絶賛していたようだ。そこで、その方は通うことにきめた、ということらしい。心を治すお医者さんが強く推薦したということは、玄人から見ても別格なんだなと思った。

でも、子供たちはそれまでに何をやってもダメだったことを知っているので、何の興味も表さなかった。長男は特にめんどくさがった。子供たちがやる気にならないと、私たちにはどうにもできない。無理にやらせると、それこそ反動が来るのではないかと思った。でも、ほんとうにすごい人がいるならば、絶対会いたいと思った。いかに先生がすごい方かということを、教えてもらった。私たちもやる気がどんどん出てきた。夫も違う方面での高い評判を知り、早く子供たちに受けさせたい気持ちが高まっていった。その世界ではとても有名で海外からでも受けに来る価値があるくらいすごい人だという。

問題が、一番大きな問題があった。当事者じゃない私たちが行く気になっていても、やる気がない当人だったら、いかにすごいと言っても、意味がないんじゃないかと心配だった。出口が見えなかった私たちにとって、不安と心配ばかりがどんどん先行してしまった。でも、いくら考えてもラチがあかないのは確かだった。夫もとにかく、ここは受けてみよう、と言った。子供たちも(特に長男)、突破口を感じられれば、やる気が出てくるよ、と言われ、決心をした。

夫は、やっと先生とコンタクトがとれた。なんとも一家まとめて相談に上がると言うことは前代未聞だったかもしれない。それは私たちの問題の解決もして欲しかったし(子供が元気になっても、私たちに問題がある限り、また同じことの繰り返しになってしまいかねない)、一家で先生にどうにかお会いできた。結構予約が埋まっていて、その合間を縫ってのことだったから、紆余曲折があった。


 

 


神経症を病んで不登校になった子供たちの頑張りと克服 その2

噂通り先生は大人(たいじん)で、またとっても気さくで親切にしてくれた。電話口での印象と何ら変わらなかった。子供たちは最初緊張していたけれど、先生がすぐに子供たちの心をつかんでくれたときは、とてもホッとした。小さい子供が先生自身いるらしく(写真を見せてもらったけれど、とてもかわいかった!)、若い人にはどうにか立ち直ってもらいたいと言っていた。さすがにプロフェッショナルの中のプロフェッショナルと言われるだけあって、あらゆる心のしくみや神経症ひとつひとつに精通していた。私たちもけっこう勉強していたはずなのに、驚くことしきりだった。子供たちがはまってしまった原因を説明してもらった。さかんに私たち夫婦のことをフォローしてくれたけれど、やはり幼児期からの環境が大きかったみたいだ。でも、私たちの親のしつけ・教育方針、性格、考え方、抑圧のことを指摘したときには、驚いてしまった。私たちの親からの流れで起きているでことだから、私たちの被害者だ、と言われて、救われた気がした。こんなに家族に暗闇が覆ってから、感激したことはなかった。理論派で疑い深いところもある夫もすっかり先生にまいっていた。


私と夫の先生に対する信頼はどんどん深まっていたけれど、更にうれしかったのは、子供たちが帰るまでにすっかり、先生にと仲良くなっていたことだった。とくに人見知りが非常に激しい長男が、先生に気を許しているのを見て、目頭が熱くなった。ああ、この先生ならぜったい大丈夫! と確信した。長女もなついていた。初めて自分の心をわかってくれる人だと言っていた。それは数十年生きてきた私たちにも同じことだった。私たちの家族史にとって、エポックメイキングな一日だった。やっとわかってくれる人、自分を支えてくれる人と出会えたという、ずっと心のどこかで強く願っていたに違いない人とはじめて会えた、そんなうきうきした表情が見て取れた。

どうやっていけば、心のトラブルが解決していくのか、悩みの陥ってしまう流れ、悪循環のはまりこみとそこから脱却の方法、無意識と本能と神経症の関係、心の中の負の要因とプラスの暗示の関係、トランス状態の作り込み、家での訓練と悩みに陥るルーツ分析整理と受け入れ方法などたくさんのことを教えてもらった。どれも高度な理論と確かな実績と自信があふれていて、どれもこれも目から鱗で、新鮮だった。いろいろと驚くことばかりで、時間が来てしまった。これから夜の1時頃まで満杯だという。そんな中特別に入れてくれたことに感謝をして、お金を払い、みんなでそこを出た。

帰り、子供たちはとても喜んでいた。長女はほんとに来て良かったと言っていた。長男も口にこそ出さなかったけれど、うれしい顔をしていた。私たちも連れてきて良かった! 明らかに私たちがいままで通っていた施設とは違っていた。理屈ではない、なにかハートにずしりと来るものだったから、なおさら真実だったと思う。私たち四人ともトランス状態に誘導してもらったときはとても驚愕した。夫も私もそういうことははじめてだった。でも、催眠療法の経験がある長男ですら、驚いていた。全然世界が違う、と喜んでいた。
だから、帰りに車は今まで以上いない希望であふれて、空気も健やかに感じられた。子供たちがもっと感じていたに違いない。常識が覆る革命的な一日が終わった。


神経症を病んで不登校になった子供たちの頑張りと克服 その3

すべて岩波先生にお任せすることにした。夫も私も神経症的な性格・性質を持っているので、私たち自身についても先生に相談したいと感じていた。それはのちに子供たちが元気になった後に実現できた。長男も長女も最初は一緒に通っていったが、別々に通うようになった。心を扱うものだから、それは当然だったし、もっとつっこんで先生の話がそれぞれとできるから。どっちが元気が出るかな、と思っていたら、長女が先に元気になっていった。それに続き、長男が続く感じだった。先生に言わせると、長女のほうが、(悩みに陥る)ルーツが少ないからだという。

長男より長女のほうが、リストカットという命に関わる悩み(もしくは一生ものの傷を負うということ)を抱えていた分、急を要することだった。だからうれしかった。長男は自傷行為はしなかったから、長いスパンで症状の克服を考えていた。でも、長女はそうはいかなかった。急に自傷行為に及んでしまうきっかけをなくしてもらいたかった。子供たちは、競って、先生に作成してもらった、家でできるプログラムメニューをこなしていた。明らかに私たちの目から見ても、二人は元気が出ていたし、うれしそうな時間が増えていった。

ルーツ整理に関しては、私たちのしつけや育て方での問題が強いため、私たちとしても心苦しかった。でも、そこまで、自分たちの原因があることに気づいている親はほとんどいない(だから、子供はよけいはまってしまうそう)という先生の言葉をきき、救われた感じがした。過去よりこれからの未来のほうが大事といわれた。

 

神経症を病んで不登校になった子供たちの頑張りと克服 その4

もう先生に任せていたので、こまかいことは子供たちに聞かない限りはわからない。合宿プログラムにも一週間通った(今は一週間の期間では合宿をやっていないそうです)。家でも呼吸の訓練や自己暗示をきいて頑張っていた。でも、一つ確かなことは、長男も長女も元気になっていったことだ。
私たちの強力(過去への申し訳なさなど)も非常の大きかったと、先生は言われた。それだけで子供たちはとても気が楽になったと。一番身近な人からわかってもらうことが、何よりも大きいし、追いつめられることはなくなるから、前向きになりやすい、と。その間には子供たちもとても頑張っていたに違いない。一番苦しんでいるのは、親ではなく、子供たちなのだから。それを親のエゴで、それまでにどれだけ子供たちを振り回してしまったことか。思えば、子供たちをどうにか必死で元気になってもらおうと、いろいろと連れ回してしまった。それは、なんら幼児期からの私たちの教育と変わらないことをしていたと、いまさらながらハッとしたことがある。容易に自分を変えることが難しい。

料金は問題じゃない、ほんとうの人生の価値を私たち家族四人は得ることができた。子供たちは、長男は大検をとり、目標とする大学に受かった。人様よりも、何年も遅れているけれど、悩みを経た分、そして克服できた今、人様には絶対得ることができない貴重な経験を得ている強さがある。悩んだことは決して無駄ではなかった。長女は社会に出て働いている。でも、好きな詩で食べていきたいという目標がある。二人とも夢を見つけ、それに向かって精一杯努力している。このことほど親にとってうれしいことはないです。

そして、私たちにとっての孫が生まれたときに、もう負の連鎖の失敗は絶対繰り返して欲しくない。とても健康的に、満足して生きることができる子供が育って欲しいというのが今の私たちの一番の願いです。

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