娘の不登校とリストカット、病んだ心

 

長男と違って、長女は幼児期から小学生、中学生と順調に育っていた。でも、これはハタ目からそう見えていたのであって、やはり、内心の葛藤が強かったに違いない。そこの危機を見落とし、また兄のことで放任に近い感じになっていた。でも、厳しいしつけはちゃんとした。逆に妹だからと甘やかした部分もあったかもしれない。成績も良く、素行態度も特に問題はなかったし、第一志望の私立中学に受かった。

長男の問題が深刻化するに従って、長女もふさぎ込むようになってきた。そのころから不満も強くなったが、反抗期としてとらえていた。だから心のケアも特にしていなかった。そして事件が15歳の時に起こった。リストカットを洗面所でして、妻によって発見され、救急車で病院に運ばれた。妻は気が動転していた。寝耳に水だった。長女の同級生にリストカットを繰り返す子がいた。影響されたと言っていたが、ショックだった。幸い、傷は浅かった(ためらい傷が多くあった)。それ以来、長女に私たちは目が離せなくなった。長男の問題どころではなくなり、私たちの心のほとんどを、長女の問題がしめるようになった。

カウンセリングに通わせ、精神科にも通わせた。とりあえずは、自傷行為がなくなると思っていたが、その間にもまた一回した。やはりリストカットだった。私も妻も狂ったように、刃物類や、切れるものすべてを徹底的に管理していた。でも、どこにでも刃物は売っているから防ぎようがなかった。また傷が浅いため、事なきを得たが、長男以上に急を要することだった。どうにかやめさせたいが、ずっと拘束するわけにもいかない。自傷行為はずっと繰り返される、要素があると知り、家族皆心が安まるときはなくなった。長男も妹のことはしきりに心配していた。

高校も行かなくなった。そしてひきこもりになった。何をするにも楽しくないと言っていた。死にたい、と言うことが口癖で、妻も私もそれを聞くと猛烈に怒ったが、長女にはなんら声が届かなかった。その間、詩を作り、心のバランスを必死に保とうと苦闘していた。あとは犬のク○○カと遊んでいた。

ここにいたり、私たちの教育方針や育て方が間違っていたのかもしれない、と言う不安がよぎった。でも、認めたくはなかった。社会問題としてとらえようとした。これは現代社会が抱える病だとおもった。社会がそうさえているのだ、と思いたかった。でも、健康的に育っている子供たちもたくさんいるのに、社会のせいだけには出来ないこともたしかだった。妻を含めた私たちの自身の問題まで波及してきた。カウンセリングや精神科に通わせていたときも、私たちの問題とはとらえていなかった。子供たちの甘え、甘さが一番の原因だと思っていた。(たるんでる、とは、本人たちに言わなかった。言ってしまったら、最後だったかもしれない)。

命の原因に関わることだから、早急に何とかしたかった。また長女の自傷行為が兄に波及したらどうしようと思った。私たちは娘たちになにか与えてきたのだろうか? ただ私たちのエゴで、見えない何かで、子供たちを追いつめていたのかもしれない。でも、それがわかってきたのは、岩波先生のところに子供たちが通ってからだ。表面的には、けっこう昔から家族的な問題はあったわけではないけれど、子供たちが思春期を迎えるにあたって、一気に表出してしまった。いまは起こるべくして起こったことだと認識している。でも、そのときは何の対応もとれなかった。はがゆかった。

娘は自傷行為をする女友達行動をするようになり、私たちはそれだけはしないように気を配っていたが、結局はうるさくいうこともしなかった。ただ、万が一、二人で、ということになったら、そればかりおそれていた。自傷行為をしていた娘の友達の家庭は問題が大ありだった。それにくらべると私たちの家庭はそれほど問題が表面化していなかった。だけど、娘の友達と同じ見えない何かが、娘に影響していたと今は思う。何の解決も見ないまま、娘も、長男も、私たちも暗闇の中を進むしかなかった。

※リストカットはあくまで自傷行為であり、自殺行為ではないというのが一般の見解ですが、しかし一歩間違えれば死に至るということで、親から見ると自殺未遂と変わらないものです。リストカットを自殺未遂のように書いていますが、そういうことですので、ご了承下さい。

 

 

長男の苦しみの記録(いじめ・不登校・ひきこもり・ニート・そして対人恐怖)
 
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