息子の不登校・ひきこもり・いじめ・対人恐怖

 

初めての私たちの子供となる長男が生まれる。それはとてもうれしく、立派に育て上げようと決心した私たちだった。
幸せに生きてほしい、生まれてきたよかったと全身で味わってほしいと思った。
全身全霊泣きまくる赤ん坊の長男を見て、ものすごく私たちも幸せだった・・・

幼い頃から、やんちゃな子供で、時々親を困らせるいたずらをたくさんした。でも、私たちはいたずらも、子供らしい羽目を外した行動もすべて、しかりつけた。
間違って育ったらどうしようという恐怖と強迫観念が強かったから。
私たちの心の余裕のなさ、視野の狭さが息子を追い詰めてしまった。

しっかり育てるには、甘やかしちゃダメという私たち夫婦の間違った信念が、共にそういった親に育てられてきたから、それが絶対の真実だと思いこんでいた。
というよりも、それ以外頭が働かなかった。

子供時代より私たちはそういう思考が身に付いてきたから。いわゆるマインドコントロールを受けてきた。
私たち自身が親の心の余裕のなさと視野の狭さでとても生きづらくなっていたのだ。

思いこみほど怖いものはなかった。
厳しく育てれば、どんな世の中の荒波にも負けない人間に育ってくれる、というのが信念だった。
私たちもそう親から仕込まれてきた。

長女が二年遅れて生まれた。
いっそう長男には兄としての自覚を促すために厳しくあたった。兄はこうでなくてはいけない、という決めつけで育ててしまった。

だから、ますますのびのびした経験や思いを息子に与えることができなくなった。
また、このとき、長女までが、心のトラブルを後々抱えてしまうことになるとは思わなかった。
これは私たちの親と資質とそれが形成されたルーツに問題があったからに他ならない。

妻は自分でも認めているが、強迫観念がとても強く、またヒステリーを起こしやすいたちだった。
子供たちに負の影響を与えてしまったことは想像に難くない。
子供心に恐怖を与えてしまったかもしれない。(ここは子供たちがのちに語っている)

それでも、幼稚園の時には、長男は傍目にはのびのびしていたと思っていた。
人見知りが強いと保育士に聞いたことがある一方で、友達も多かった。

小学生になると、長男は給食を食べ終わることが遅く、昼休みまで残されていた。
妻はそれを気に病み、家で食事の時も厳しくしつけにあたった。
苦手な食べ物があると、極端にペースが落ちる。だから無理に食べさせた。

それ以来、長男の食事の時、どこか緊張していたように思う。楽しいはずの食卓が、苦痛になっていたのかもしれない。
それを早く食べるように促してしまうと、もっと喉が通らなくなる悪循環に陥ってしまった。

その間も、厳しいしつけが続き、また買い食いやどこか帰りに立ち寄ることも全く許さなかった。
それがあったとき、妻と私は二人で(一人だけに任せることはしない方針だった)長男を叱った。

また、長女に対する子供らしい意地悪も大目に見ることは決してしなかったと思う。

次第に自己主張に難があると、担任が言うようになってきた。
クラスで手を挙げないし、積極的にグループに入らないという。

私たちはいじめにあっているんじゃないか、と思った。実際、その通りだった。
私は、息子が気弱だからだ、と言う結論でいた。
だから、しっかりしろということを遠回しに言い続けた。

これが息子にかなりプレッシャーになっていたかもしれない。
息子がいじめに遭うこと自体、私にとって信じられないことだった。
そんなことがないように、世間の荒波に負けない子供に育てるために厳しく育ててきた。

次第に息子は学校に行くのをいやがるようになってきた。

中学は近くの公立中学に入らせた。
私立中学に行かせようとしたが、自信喪失していた息子に、もし中学受験に失敗したら、大きな損失になるだろうと思って、長女からやらせることにした。
このときまで、長女は表面上順調に育っていたように思えたから。

妻とも子育てを巡って口論が絶えなかった。
どんどん自分の殻にこもっていく息子をどうすることもできない無力感と行き場のないいらだちがあった。
とにかく、社会に出たとき、学力・学歴がどこでも通用するように、生活はともかく、勉強は徹底させた。塾にも行かせた。

成績は得意科目と不得意科目があったが、総合順位もなかなかよく、そちらには満足していた。
でも、また中学で息子はいじめにあった。

次第に、前にも増して、息子は学校をいくことをいやがった。
特に日曜日は憂鬱そうだった。

しかし、気合いを入れて行け、ということが、そのときの私たちの方針だった。
甘いから、気がたるんでる、社会がそういう風潮だからだ、と言う責任転嫁を息子と社会にしていた。

子供の気持ちを全くわかってやれなかった。
これも私たちに原因があった。

時々、申し訳程度に、家族旅行に行ったが、いつもはりつめていた空気はいっこうに変わらなかった。
息子は自分で自分がわからなくなっていたと思う。

そして、息子は学校をさぼるようになる。
行くように見せかけて、どこかで時間をつぶしていたのだ。学校には自分で電話して、体調が悪いから休むと電話していたらしい。

不登校など、私たちは絶対許さなかった。
だからこそ、息子をぎりぎりまで追いつめてしまっていた。

そして、ついに息子の糸がきれた。
不登校はおろか、ずっと家に閉じこもるようになった。

妻はもうどうしていいかわからないようだった。
私も対策のしようがなかった。

とりあえず、勉学をさせなくては、と家庭教師をつけさせたが、息子はどんな人間にも距離を置くようになっていたため、しっくりいっていなかった。
この危機的状況で私たちができることと言ったら、児童相談所や教育・心理カウンセラーに相談することだった。

渋る息子を無理矢理連れて行った。
しかし息子の一度切れてしまった糸は、元に戻らなかった。

息子が一番苦しんでいたが、どうしてやることもできない私たちもつらかった。
私たちがどうにかしようとしていることさえ、苦痛に感じていたようだ。

心の問題だから、と精神科に連れて行った。
精神科のお医者さんから、対人恐怖とうつ病の兆候があると言われた。
そこからの原因で不登校になったし、引きこもっている可能性た強いと言われた。

不安の症状が抑えられず、薬がどんどん強くなったが、それと比例するようにずーっと布団に潜って一日を過ごすようになった。
ただ寝ているだけだった。

もう行き着くところまで行き着いてしまったと思った。
薬を子供に気安く飲ませる風潮が怖くなった。
TVでその放送を見たため、妻は薬をやめさせ、精神科に行かないようにした。

心理療法にも通わせた。
催眠療法を受けさせたが、何一つ得るものなく過ぎてしまった。
調子のいいことだけを言って、何の力にもなれないところだった。

心理カウンセラーのところには継続的に通わせた。
対話がなくなったとき、息子が壊れてしまうと思ったから。

いじめの心の傷、私たちの教育のまずさ、表層心理で解決しようとしても、もっと深い深層心理で起きている問題(心の傷)の根深さに私たちは絶望してしまった。
息子はもっと人生に絶望を感じていたに違いない。
しかし、慌てふためいていて状況をもっと悪化させたのは私たち親だった。

 

岩波英知先生の不登校、リストカット、ひきこもり、いじめ経験の傷ついた子供を持つ親向けの言葉集
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